エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

選評:三輪太郎

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選評・三輪太郎

時間の転生の仕方

三輪選考会の一ヵ月前、編集担当の寺田さんとたまたま街で会った。何やら様子がおかしい。聞くと、応募作を全部読んだら、モノに憑かれたようになったという。数瞬して、さもありなん、と察せられた。後日、選考通過作が送られてきて、読むと、ああ、なるほどね、と納得が行った。一〇代から八〇代まで、一二〇〇余人の記憶と丁寧に寄り添うことは、昭和平成の歴史をナマで閲歴することにひとしい。

さて、食で歴史を輪切りにすると、母の姿しか出てこないのではないかと危ぶまれたが、幸い、父の姿が少なからず現れて、ほっとした。

柏さんの「酢めし」は、頑固親爺の癇癪玉がつくりあげた、ダイナマイトふうお握りだ。娘はこれが嫌で嫌でたまらない。だが、ダイナマイトはやがてごつごつした父の手に、さらに老いた父の小さな手へ変容していく。哀切、かぎりない。

伊藤さんの「玉子焼き」には、父の不器用さが卵の殻として混ざり込む。嚙むとガリッと鈍い音が鳴る、だから時折、ゴミ箱行きになる。しかし、子が長じると、その不快なガリッを芯にして父の思い出がよみがえる。不器用、不如意、不足……あらゆる「不」という欠損が、記憶の発酵酵母になる。「不」抜きの人生は、深まらない。

荻原さんの「魔法の指」は、父ならぬ祖父の味である。祖父は戦争で無惨な体験をした上に、職場の事故で親指を切り落とすという不運に見舞われた。老後は菜園で、野菜や苺を育てることに熱中する。その苺の甘やかさ。失うことは代わりに何かを得ることでもある、という一文が励ましを与えてくれた。

馬場さんの「さつま揚げ」は、父の熟慮の味がする。ある夜、父は息子の分のさつま揚げを食べてしまう。子は怒る。すると、父はさつま揚げを買いに外へ出て、無表情で帰ってくる。私はその「無表情」に100ページ分の言葉を読み取った。買わずに、ご免、ですますこともできたのに、敢えてそうしなかった。父は家族に礼儀を尽くそうとしたのだろう。できれば全作品に言及したかったが、叶わぬことをお許し願いたい。選考会の帰り道、私はふと想像した。子の食事づくりに捧げた膨大な時間が、いずれ子のなかでどのような転生を遂げるのだろうか、と。


みわ・たろう●1962年愛知県生まれ。小説家・文芸批評家。東海大学文学部准教授。最新刊は『憂国者たち』。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

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