エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

選評:太田治子

  • HOME »
  • 選評:太田治子
選評・太田治子

父と娘の愛の姿

太田最優秀賞「父の手と酢めしの味」には、父と娘の愛の姿が描かれています。「父の味」とはどのようなものなのか、父の顔を知らずに育った私の胸にしみじみと伝わってきました。からだの弱いおかあさんに代わっておとうさんがお弁当に作ってくれた巨大なおにぎりは、真っ黒い海苔で覆われた酢めしのもの。仕事に必死なお寿司屋さんだったおとうさんの大きな手で握られたおにぎりには、中身の具が何もなくて、「酢にぎりでした」と筆者は書いています。店の仕出し料理の残りの豪華なお弁当の時もあるものの、唯一のおやつは鍋の焦げ飯に塩をふったものだったというエピソードには、びっくりしました。幼いころには栄養失調にかかったこともあると書かれていて、これではお父さんに複雑な思いがあって当然だと思いました。しかし三年前になくなった時の父の手は、もはや自分の手の中に小さく納まってしまったとあるのを読み、あの時の大きなおにぎりに、父の愛がこめられていたのだと教えられたのです。

優秀賞の「儀八丸回想」は、戦前の駿河湾の青い海が舞台です。少年時代の筆者は川を立ち泳ぎしていて、儀八丸の若い漁師の「エイジさん」から大きなカツオをプレゼントされる。家に戻って家族七人、刺身で食べたカツオのおいしかったこと。それから十六年後、小学校の先生となってから、家庭訪問で担任の子の家を訪ねると、そこに父親となった「エイジさん」がいた。旬のカツオが食べたくなるすがすがしい文章だと思いました。

優秀作「お話のパンケーキ」。この作品にも、忘れられないおねえさんが登場します。小学校二年生の筆者が長屋の隣に住む彼女の家で初めて口にしたパンケーキ。あこがれのおねえさんの手作りだったからこそ、その味は今も心の中に生き続けているのですね。

「我が家に『オムライス』がやってきた日」も、長屋の我が家が舞台です。時は、昭和三十年代。おとうさんはいなくても、明るい大家族。休みの日に、会社員の「大き姉ちゃん」が覚えたてのオムライスに挑戦。できたてのオムライスのあまりのおいしさ。台所は、デパートの食堂に変身していたというくだりに、同世代の私はあの時代のなつかしさにしばし浸りました。佳作の「ところてんを作る母」のおかあさんを思う心にも共感しました。三十年代のおかあさんは、ふんばって働いていました。私の母もそうでした。「あの日あの味」が、私にもどんどんよみがえってきました。


おおた・はるこ●1947年神奈川県生まれ。父は太宰治、母は太田静子。『望星』での連載「星はらはらと 二葉亭四迷の明治」が2015年3月に完了した。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

PAGETOP
Copyright © 東海教育研究所 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.