エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

選評:島村菜津

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選評・島村菜津

食が人生にきざむ刻印の強さ

島村今回の応募には、おふくろの味のみならず、父の手料理をめぐる良作が目につきました。伊藤さんの「玉子焼き」は、作者が今、福祉施設の調理師であることも、その奇特な父親の愛情のなせるわざのように思える温かなエッセイです。大学生の馬場さんの「さつま揚げ」も、なにげない日常を切りとった逸話だけに共感できる作品でした。また、工場で親指を失った祖父が育てた野菜やイチゴの味を振り返る荻原さんの「魔法の指」も一度、読んだら忘れられない魅力がありました。

最優秀賞の柏さんの「酢めし」には、構成などやや拙い部分もあるものの、心の深部を揺さぶられる力がありました。寿司屋を営みながら、男手ひとつで子供たちを育てた昭和の父には、目配りに欠けたところがあります。その父の手料理の姿かたちや味わいが、そのまま、不器用な父親との緊張感のある日常の機微を体現し、愛憎を物語るようで、つくづく食というものが人生にきざむ刻印の力強さに圧倒されました。読後も、北国のしんと冷たい空気と、酢めしの香がつんと鼻に残ります。

優秀賞の伊東さんの「儀八丸」は、食糧難の時代、気風のよい漁師の姿を生き生きと描いた文章力が卓越でした。昭和世代の魅せられた新しい味と食卓の親和力に懸ける母を描いた石崎さんの「オムライス」には、畳みかけるようなリズム感と迫力があります。加藤さんの「パンケーキ」は、その物珍しさと甘い風味に、姉のような隣人と西洋文化への憧れが重なり、これを暗示するような細部の描写力が秀逸でした。

母親がテングサから作る末吉さんの「ところてん」、荒田さんの失われた「馬っこ飯」の風習は、次世代に伝えたい貴重な記録でもあります。ポーランドのキャベツの漬物をめぐる松島さんの「地下室の味」は、寒い異国の冬に、発酵熱のようなほのかなぬくもりを感じさせる名文です。料理があまり得意ではなかった母を失った後に思い出す数々の美味を描いた川崎さんの「豆ごはん」や、抗がん剤による味覚障害からの回復を綴った加賀美さんの「にんじん」は、普段私たちが当たり前だと思い込んでいることの有難さに立ち戻らせてくれました。

これら入賞作の他にも素晴らしい文章が多く、審査というより教わることの多い贅沢な体験でした。


しまむら・なつ●1963年長崎県生まれ、福岡県育ち。ノンフィクション作家。著書に『スローフードな人生!』など。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

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