エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

選評:島村菜津(第2回)

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選評:島村菜津

料理の原点を思い起こす

 たった一度の会食が、凍りついた関係を変容させてくれることがある。「クルミ味のストロガノフ」は、そんな静謐で劇的な瞬間を切りとった名作だった。仕事もせず、酒ばかり飲んでいた父、そんな父から逃げるように実家を後にした作者だが、親戚の婚礼を機に上京した父とランチをすることになる。都会の高級ホテルのレストラン、長年、会話もない無表情な父と二人だけの食事。居心地の悪いことこの上ない。ところが、そこで注文した物珍しい異国の料理が思いがけずおいしい。そして、その味わいが、無言で食する父と娘の関係を別の次元へとそっと押し上げる。淡々とした描写の中に、クルミ食文化が息づく東北出身の父親の遠い過去や苦労をかけた娘への悔悛の念までも伝わってくるような作品だった。

 これに劣らぬ逸品は、「三等兵と餃子」。父親が皮まで練る餃子作りの描写は、鍋で爆ぜる音やニラと豚肉の香ばしい香りが漂ってくるようだ。父親は、家族のために腕を振るう餃子作りを儀式のように大事にしている。しかし、同時にそれは、戦地だった大陸で体得した技だ。体格的に劣っていたことで不適格者だったにもかかわらず、戦局も押し迫ると戦地に駆り出された父は、その体験を一切口にすることなく、ただ自らを三等兵と自嘲した。餃子を通じて父の心の深い明暗に触れる作者の瑞々しい感性に感動した。

 「なんこ」という料理を、まだ食べたことがない。北海道の炭鉱で愛された馬腸の煮込み料理だそうだ。調べてみると、十二支の南が馬の方角なので南向が訛ったのではないかとあった。ともあれ、離れた畑に人糞を担いで稼ぎ、馬の腸をぐつぐつ煮るそばで針仕事をし、ほのかな笑みを絶やさない。そんな昭和の母の力強さに打たれた。郷土料理の記録としても貴重だが、ケをアケに、不浄なるものを清浄なるものに変え、命を吹き込む料理というものの原点を思い起こさせてくれる作品だった。

 記憶の美化や五感の不確かさを笑い飛ばすような「アンダカシー」も愉快だったし、映画館で「父の焼く磯辺焼き」の光景も頭に残って離れない。若手の作品もどれも甲乙つけがたかった。切実さと地域社会にも拡がるような愛情において「母がくれた特別な味」に軍配が挙がったが、常に移りゆく都会の中でどっこい生き残った味を巡る「銀だらを醬油と砂糖で漬けたもの」も、試行錯誤の跡が見え将来性を感じた。どの作品も魅力的で苦しい選考会だった。

●しまむら・なつ

1963年生まれ。ノンフィクション作家。著書に『生きる場所のつくりかた 新得・共働学舎の挑戦』、共著に『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化』など。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

募集の概略

規定 作品は1800字以内
賞  最優秀賞1編(10万円)
   優秀賞3編(3万円)
   佳作10編(5千円)
締切 2018年1月31日(消印)
発表 『望星』2018年7月号誌上
選考委員 太田治子(委員長)
     島村菜津
     水島久光
     三輪太郎
主催 株式会社 東海教育研究所
後援 株式会社 紀伊國屋書店
   株式会社 新宿高野
   株式会社 中村屋

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