記憶のインデックスとなる食
メディアから見える世界はこの四半世紀で大きく、激しく変わってしまいましたが、そこに映し出された「食」の意味は、それほど変わっていないように思います。
今、若いひとはインスタグラムに夢中です。検索をしてみると、数々の楽しい食卓、美味しそうな料理が出てきます。「いいなあ、いい時間を過ごしているんだなあ」と率直に思います。そしてその食事を中心に、どんな空間が広がっているんだろうと、想像が勝手に膨らみます。
なぜそう思えるのか。それは「食べる」ということは、誰しもが持ち得る「経験」だからではないでしょうか。つい見知らぬ人の食卓にも、自分の記憶を重ねてしまう――いつ、誰と、どこで――「食」は記憶のインデックス。食べ物の話は、人と人をつないでくれます。
もうひとつ、「食の記憶」は優しく出来事をつつんでくれます。どんなに辛い時期の――たとえば災害や戦争、あるいは病と闘いの中の食事だったとしても、その味は――それを味わい、ごくんと飲み込む瞬間は「幸せ」とともにあります。だからこそ、それを思い出す辛さを、少しだけ和らげてくれるのです。
ここ10年ばかり、記憶と記録の関係について、考え、研究してきました。実はその中で、これまでもたくさんの人の「食の記憶」に耳を傾けてきたという事実にあらためて気づかされ、私自身が驚いています。そして、「私の思い出。あの日あの味」を通じて、もっともっとたくさんの、かけがえのない人生に出会えるのかと思うと、「どきどきわくわく」が止まりません。
水島久光
みずしま・ひさみつ 1961年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、広告会社、インターネット情報サービス会社勤務を経て、2003年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。同年東海大学文学部広報メディア学科に着任。著書に『閉じつつ開かれる世界 メディア研究の方法序説』『メディア分光器 ポスト・テレビからメディアの生態系へ』など。東海大学文化社会学部広報メディア学科教授。