選評:太田治子
胸に染みてきた愛情
つい先週のこと、会社勤めの娘と駅前にある馬肉屋さんで夕食を食べた。安くて評判の新鮮な馬肉も唐揚げもとてもおいしい。小さな幸せを感じつつ食べながら、高橋由紀雄さんの佳作の「なんこ」を思い出した。これは、馬の腸を煮込んだ鍋料理のこと。
北海道の炭鉱町で育った高橋さんは、戦後まもなくの頃におかあさんが作られたその味が忘れられない。糞尿の臭いのする臓物を長時間手をかけて料理する時も、おかあさんは穏やかな表情をされていたという。一方の私は、お店でぬくぬくとおいしい馬肉を食べている。こんな母親でよいのだろうか。
最優秀賞の佐々木優美子さんの「クルミ味のストロガノフ」は、そのしゃれたタイトルから想像もつかない程に深い内容の作品だった。向田邦子さんの短編を読んでいるような香り高い文章の中に、「こまったお父さん」への愛情が詰まっていた。お酒ばかり飲んで、仕事もしないで暴力をふるってきたおとうさんが上京して、一泊二万円ものホテルに泊まる。さらにはホテルのレストランで、普段は食べない洋風の料理を食べようと言い出す。それが、ビーフ・ストロガノフだった。娘の佐々木さんの前で、一世一代の虚勢を張ろうとされたのだろう。その時おとうさんが言われた「クルミの味」とは、ふるさとの方言で「とても美味しい」という意味だった。はたして私にこのようなおとうさんがいたとしたら、佐々木さんのように優しく思うことができるかしら。自信がない。
優秀賞の室星尚明さんの「三等兵と水餃子」も、おとうさんへの愛情が溢れていた。おとうさんが兵隊時代に本場満州で覚えられたという中身の詰まった餃子のように、その愛はじわりと温かく胸に染みてきた。手作りの餃子の厚い皮は、最高においしいと思う。
栗田陽二郎さんの優秀賞の「『おでん』の味とやさしさと」から東京オリンピックの頃のバラックの家並がよみがえってきた。廃品回収のリヤカーを引く仕事を手伝った学生時代の栗田さん。犬二頭も一緒の荷車引きのお礼に出されたおでん。「多くを持てる中からではなく、少しの中から多くを差し出してくれた」このひと言が、忘れられません。
●おおた・はるこ
1947年生まれ。作家。著書に『明るい方へ』『夢さめみれば 日本近代洋画の父・浅井忠』『星はらはらと 二葉亭四迷の明治』など。