ささやかな出来事の、ささやかでない内面
先回の応募作のなかに、今もときおり思い出しては苦笑いさせられる文章があります。そのひとつが西宮市在住の大学生、馬場広大さんの作品でした。
馬場家の食卓には、たまにさつま揚げがのぼったそうです。ある日、彼がお風呂に入っているあいだに、父が子の分のさつま揚げを食べてしまうという「事件」が起こります。とくに好物というわけではなかったけれど、悔しくて延々駄々をこねると、父が家を出て、しばらくして帰り、無表情で「ほら」とさつま揚げを差し出した、というのです。
「父のその行為に大人の怖さを感じた気がして、涙ぐみながらさつま揚げを食べた。エビが入っていたが、冷たくて、涙のせいで味なんかわからなくて……」と本文にあります。
私には父の「無表情」がわかります。身に覚えがあるからです。小学生の娘のアイスクリームをうっかり食べてしまい、娘にさんざんなじられて夜中に買いに走る、という同様の体験が私にもありました。
「無表情」の裏で、父は考えたはずです。自分が買ったものを自分で食べて何が悪い? が、家族を私有物にしてはいけない。父は家族に精一杯の礼儀を尽くすために、さつま揚げを買いに出かけた、と私は読みました。
ささやかな出来事ですが、ささやかではない内面の劇がそこにある、だから、記憶に食い込む。そういうエピソードと、今回もたくさん巡り逢えるのを楽しみにしています。
三輪太郎
みわ・たろう 1962年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社などに勤務のかたわら、評論、小説を書き始める。90年「『豊饒の海』あるいは夢の折り返し点」で第33回群像新人文学賞「評論部門」受賞。2006年、『あなたの正しさと、ぼくのセツナさ』で第1回日経小説大賞佳作受賞(受賞時のタイトルは『ポル・ポトの掌』)。著書に『憂国者たち』など。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授。