エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

金沢百枝:祖母のレシピ帖

祖母のレシピ帖

金沢百枝

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 二年前に他界した祖母は、たいそう食いしん坊だった。夜、寝床の中で、さて明日はなにを食べようか、レシピを繰りながら眠るほどだ。料理上手でなんでも器用に作るが外に食べに行くのも大好き。八十を過ぎても自分の歯が揃っていたから、焼き鳥屋では軟骨までペロリと食べた。

 その祖母が、四十冊のレシピ帖を遺した。祖父が勤めていた会社が毎年出している黒革の手帳に一九六七年頃から四十年間、書きためたものだ。ときに縦書きで、びっしり書き込まれている。銀行の名前が入ったメモ帳の走り書きが貼ってあることもある。料理を作りながらあやされていたのか、私の落書きもある。

 レシピには、料理家の名や教えて貰った友人の名など、出典が明記されているのが几帳面だ。ラザーニャやプルコギ、サングリア等、今では馴染みある外国の料理が、いつ日本の食卓に入ってきたかもわかる。戦後日本の料理文化の変遷を語る資料としても面白いが、祖母の人柄が垣間見えるところもよい。実際に作ってみて美味しくなかったレシピには、大きなばってんが付けられ、容赦なく「まずい」と書かれている。「おいしい」評価が少ないのが辛口の祖母らしい。

 このレシピ帖が日々の出来事を記す雑記帳だったことは、この文章を書くために読み始めて、はじめて知った。武田百合子の『富士日記』さながら、記述は淡々としている。日誌風なのはときおりで、詠んだ歌や気に入った随筆の写しなどもある。要するになんでも帖だ。家族については照れがあるのか、記述は簡素だ。たとえば、単身赴任中の祖父が久しぶりに戻った正月、ふたりで映画を見に行ったとある。四十代の祖母も嬉しかったに違いない。なのに「パパとふたりで映画を観に行った。チャールズ・ブロンソン」とそっけない。思春期の私については「百枝、家族離れ」と一言。かと思うと、昭和五十年、天皇・皇后両陛下の渡米の報道をすこぶる愉しんだようで、「サンジエゴの動物園のオカピ、コワラグマ、ハミングバード(人さし指の先ほどの小鳥)」など詳述している。一緒に暮らした時期が長かったので、ときどき、祖母の味を食べたくなる。

 「おばあちゃんの南蛮漬け、食べたくなっちゃった。どうやって作るの?」「五目豆を煮たいんだけど」「おでんの袋に何入れる?」など、電話で相談すると、ふだんはクールな祖母もまんざらではないようすだった。

 けれども、煮豆をもっていって、褒められたことがない。「豆はむつかしいね、おばあちゃんみたいにはできないよ」と言うと、少し誇らしげに「簡単よ」と言う。祖母みたいに、ストーブの上に鍋を置いて、編み棒を動かしながらゆっくり煮込めば、うまくできるんだろうか。

 教えて貰い損ねてたのが、おはぎの作り方。「○○さんにさしあげたら、お店が開けるくらい美味しいって言われたのよ」と祖母でさえ自慢するほど美味しい。お彼岸にはたくさん作って、ご近所や親戚に配っていた。餅米をこしあんでくるんで丸めた「ふつう」のおはぎ以外に、中にあんを入れ、外に黒胡麻や黄粉、青海苔をまぶした変わりおはぎもある。「次の連休に一緒に作ろうね」と約束していたのに、その直前に祖母は倒れた。

 祖母の味を引き継ぎたくて、譲り受けた四十冊なのに、調べてみるとおはぎも含め、ふだんの料理のレシピはいっさい記述がない。ブランマンジェ、ミートローフ、スコッチエッグ、懐かしいけれど、ちょっとよそゆきなメニューばかり。祖母はふだんの料理をそらで作れたのだろうから、当然といえば当然だけど、肩すかしを食らった気分だ。

 レシピ帖を見て、解けた謎もある。

 結婚して家を出たとき、私はまったく料理ができなかった。祖母になにか教えてと頼んだら、銀行のメモ帳三枚を渡された。まん中にラズベリー・ジャムがのったクッキーのレシピ。貰ったときは、メモ三枚はたいそう冷たいように思った。「もっと実用的なものをくれればいいのに」とも思った。けれど、レシピ帖を整理して、その三枚が大事な手帳に貼り付けてあったものとわかった。そのレシピは、私がまだ小学生のとき、軽井沢の山小屋で祖母と弟と三人ですごした夏、一緒に作ったクッキーのもの。ある朝、祖母の寝ている間に、私がひとりでいなくなって心配したこと。その後、たくさんの木苺を摘んで戻って来たこと。その木苺でジャムを作ったこと。祖母が繰り返し話していたのを思い出す。  (『望星』2012年5月号掲載)

かなざわ・ももえ●美術史家。東海大学文学部ヨーロッパ文明学科教授。著書に『ロマネスクの宇宙』、『イタリア古寺巡礼』(共著)など。新潮社『工芸 青花』ブログで「キリスト教美術をたのしむ 新約聖書篇」を連載中。http://www.kogei-seika.jp/

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

募集の概略

規定 作品は1800字以内
賞  最優秀賞1編(10万円)
   優秀賞3編(3万円)
   佳作10編(5千円)
締切 2018年1月31日(消印)
発表 『望星』2018年7月号誌上
選考委員 太田治子(委員長)
     島村菜津
     水島久光
     三輪太郎
主催 株式会社 東海教育研究所
後援 株式会社 紀伊國屋書店
   株式会社 新宿高野
   株式会社 中村屋

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