エッセイ募集「私の思い出。あの日あの味」

三輪太郎

私たちにおすそわけしてください

三輪先生引き 三島由紀夫の最後の小説『天人五衰』に、雪の日に母がホット・ケーキをつくってくれるという話が出てきます。

 今にして懐かしいのは、〈炬燵にあたたまりながら喰べたその蜜とバターが融け込んだ美味である〉、と。

 初読からすでに三十年以上、年齢を重ねれば重ねるほど、私にはこの挿話がいとおしく思われてなりません。意識によって整理整頓される以前の生身の声が、かすかに聴こえるような気がするからです。ホット・ケーキは創作でなく、どうやら作家自身の体験であったらしいことが、研究者によって明らかにされています。

 私は四十代で子育てをはじめ、朝夕の食事をつくる側にまわりました。子にねだられるとホット・ケーキもつくります。あの香ばしい匂いを嗅ぐたび、三島の一挿話が想起され、私自身の記憶と混じりあい、香ばしさをさらに引き立ててくれます。

 子育てをして気づいたのは、人は生きる合間に食べているのでなく、食べる合間に生きているという単純簡明な事実でした。食べることが、人生をまわしていく。食べることが人生の記憶の深部とつながり、死ぬまで地下水脈となって心と身体の奥を流れていく。ぜひ、あなたの地下水脈を汲み上げて、一椀、私たちにおすそわけしてください。地下水脈と地下水脈とがつながりあうと、地上の風景が一変するかもしれません。

選考委員 三輪太郎


 小説家・文芸批評家。東海大学文学部文芸創作学科准教授。著書に『あなたの正しさと、ぼくのセツナさ』『大黒島』など

お気軽にお問い合わせください TEL 03-3227-3700 東海教育研究所「あの日あの味」事務局(担当:寺田)

募集の概略

規定 作品は1800字以内
賞  最優秀賞1編(10万円)
   優秀賞3編(3万円)
   佳作10編(5千円)
締切 8月31日(消印)
発表 『望星』2016年2月号誌上
選考委員 太田治子(委員長)
     三輪太郎/島村菜津
     『望星』編集部
主催 株式会社 東海教育研究所
後援 株式会社紀伊國屋書店
   株式会社タカノフルーツパーラー

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