誰にも平等なよろこびだから
たとえ朝、目覚めて、何も覚えていなくても誰もが毎日、夢をみているそうです。そして、ユング派が、心の奥を探るために夢判断という手法を大事にするのは、毎日、みる夢の中でも記憶に残る夢は、覚えている意味があり、その人の人生の重要なヒントが隠されていると考えるからだと言います。
同じように、食べるという行為は、生物の本能で、日常ですが、その毎日、何度か繰り返す無数の食の場面を差し置いて、記憶に留まり続ける味には、やっぱり何か深い意味があるように思うのです。
なつかしい味を思い起こし、その時間をゆっくり味わい直してみることは、きっと楽しい作業です。そこに新しい自分や意外な人とのつながりも見つかるはずです。たとえば私は、貧乏旅行が唯一の趣味ですが、その間は空腹との折り合いがいいだけに、食の思い出が強烈に刻みこまれます。イタリアの離島で、メキシコの森で、ヴェトナムの少数民族の村で、初めて逢う人たちにご馳走になるという幸運にも恵まれてきました。その味を思い出すたび、みんな元気だろうか、あの厳かな儀式のような食卓は今も健在だろうか、とありがたい心持ちになります。怠けがちな日々を少し反省もします。
素敵なことに、食べるという行為は、何も料理の先生やシェフの特権ではなく、誰にも平等なよろこびです。だから私の食生活なんて平凡だと思い込んでいる方はなおのこと、このエッセイ募集を口実に、ぜひあの日のあの味と向き合ってみてください。
選考委員 島村菜津
ノンフィクション作家。著書に『スローフードな人生!』『生きる場所のつくりかた 新得・共働学舎の挑戦』など